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2008/9/10
第十四話
以前500枚限定で手売りしていた300円の赤いCDについて話合った。
「なんで500枚限定なんだっけ?」
「限定!って言ったほうが売れると思ったから、、」
「でも、今、青いCDは500枚以上売れてるのに赤いのは限定だった
からって売らないのは変じゃない?」
「でも、300円で売ってたのを今後500円で売るのが変だから、、」
「はぁ〜ん?、、ほしいって人がいるのに?、、すぐ作れるのに
なんで500枚で止める必要あるの?」
「う〜ん、でも、この間まで300円で500枚限定だったので
もう無いんですっ!って言った人に悪いし、、」
「、、、」
「じやぁマスタリングし直してレベル合わせしてもう一回作ろう!」
「プロに頼んだんで500円に値上がりしました!って言えばいいよ、」
「プロ?、、」
「、、??、、はいっ、、わかりました、、」
って事で赤いCDが一夜にして500円にて復活した。
自宅地下スタジオは録音からパッケージまで、200枚作るCD製造工場
としては日本で一番速いんじゃないかと思った、、たぶん、、(笑)

津田沼駅も凄かったが、しかし、もっと凄い所があった。
柏駅だ、誰かが言った。
「路上のメッカ、柏駅で人が集まってCDが売れたら本物だ!」
「あそこの人達は耳が肥えてるから、そこ行ってチャレンジ
してみれば?」
なんとなく、鼻で笑われてるように聞こえた。
さらに自信も無かった、、(笑)
柏駅って言うと、日本全国からほとんどプロのような人達が
目をギラギラさせて何組もやっているイメージがあった。
恐る恐る行ってみると、予想通りだった。
駅に近づくにつれてドラムの音が大きく聞こえて来て
「うわっ、デカイっ!」
「こんな所であたしの音は何も聞こえないんじゃない?、、」
不安的中、、東口広場は数組のバンドからユニットやら
いろんな人達が頑張ってた。
「ここは無理だね、、」「恐るべし柏駅東口!」
ところが、、
「あの〜、、人はいないかもしれませんが、反対側の南口の
乗り換え口だったら誰もやってませんけど、、」
バイトの優ちゃんと数人のファンの方々の声で南口に行ってみた。
「ん〜?静か、、隠れ柏か?、、人いなそうだけど、、」
「でも大丈夫、ここでやってみようよ!」
奥華子の声ですぐに決まった。
実際はかなりの人が乗り換えに通る場所だった(笑)

・・・初柏・・・行って良かった・・・・

ちょうどその頃「路上告知用と、ライブを見てくれた人が
すぐに感想を書いてもらえるようになHPが欲しい!」
と言って、奥華子が携帯のHPを作り、PC用のHPは僕が作った。
そして、数人のファンの方がいつも見に来てくれるようになった。

○○君、□□君、△△ちゃん、、、まるで友達だった。
機材も持ってくれたり、チラシを配ってくれたり、CD販売も
手伝ってくれた。
大きな事務所にいた頃の「歌う人はアーチスト」
「聞いてくれる人はファンの人」
のある種、当然のような隔たりを僕は大嫌いだったし、
そうならないようにさせようと
「お前はただ道端で歌う税金もろくに払っていないただの人、、
みんなはきちっと社会に貢献していて税金もきちっと払っている
立派な人達なんだ、、」と、いつも言ってた(笑)

「未完成であり続ける事」「身近な有名人」
「音楽を趣味としない人にも届く歌」
奥華子の音楽を表現する為の基本の3本柱はこうだった。
常に流行と偏差値65以上の音楽性を追いかける
(少なくとも僕の回りの音楽業界はそうだった)
業界の秩序を真っ向から打ち砕いてやろうといつも考えていた。

初柏は236枚のCDが完売し、その後津田沼と柏は常に
300〜400枚ぐらいのCDが売れた。
充実感もあったしファンのみんなと居る事だけで、
なんだか楽しかった。
そして、なんとなく自分も奥華子も少しづつ気持ちに
変化を感じていた、、。
それは何かと言うと、当初考えていた「メジャーデビュー」とか、
「3日で1000枚売る!」とかなんていう事は、まるで意味が無く、
まったくつまらない事のように思えるようになっていた事だった。
というより、まったく頭に無くなっていた。
「自分の見栄や欲望、肩書き、栄光、、、」を手に入れる喜びよりも
「実際に歌を聴いてくれる人々の感動の言葉や笑顔や涙、、」
が与えてくれた喜びの方が何倍も何十倍も嬉しく、
尊い物だと思うようになっていたのだった。

2004年の6月
〜今までで一番充実した1か月間〜
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