HISTORY

第十六話

その頃の路上ライブの重要スポットは、柏、津田沼、船橋、町田、新百合ヶ丘、
西葛西で、たまに行ったことの無い駅に出向いて行き、いろんな発見が楽しかった。
この頃からHPでの告知はしなくなり、チラシ配りを手伝ってもらえそうな
ファンの人達には個人的に事前に電話して手伝ってもらっていた。
ファッションはだいたい、ロングのワンピースにブーツだったりTシャツに
チノパンにスニーカー。
メガネはしたりしなかったり、そして手焼きしていたCDは遂に
業者にお願いする事になった。
「一回200枚として、月に15回の路上ライブで、、まずは3000枚作ろう!」
「業者に出すなんて、高く付くからやめよう!」とせっせとパソコンで焼いていたのが、
結果としてはあまり変わらず、手間も省けて盤面も綺麗だった。
何もかも、世間知らずのまま赤いルノーキャトルと共にまるで珍道中は続いた。

「これ路上じゃなくて全国のCDショップに置いたらどうなんだろう?」
「でも500円売りじゃあ仕入れてくれないよね~」
「ん~。。じゃあ違う曲で普通にシングル盤として出したらどう?」
「そうだね~、それいいね~!」
かなりの期待感とワクワク感でがぜんやる気になった!
曲は最近「銀色の季節」から歌詞を変えて路上でも歌い始めた「花火」だ。
何となく暗黙の了解で決まってたし、優ちゃんも初聞きで「鳥肌が立った!」って
言ったし満場一致!
「これ8月26日発売にしましょうよ!」「時期的にいいね~~!」
優ちゃんの一言でなぜか決まった。
「で、なんかその日あるの??」「いやっ。別に。。」「えっ、、??」
「まっ、いいか、じゃあ業者さんにお願いしに行こう!」
全てが、かなりテキトウだった、、(笑)

「あの~この間スターパインズカフェでお会いした奥華子って言うんですけど、、
インディーズのCDを8月26日に出したいんですけど、どうすればいいんでしょうか??」
「はあ~っ??、、今からじゃあ全然無理だよ!、まず審査があって、
それに通ってから3ヶ月後リリースだから早くて10月頭だな!それが普通だよ~。」
「えっ??花火っていう曲なんで8月に出したいんですけど、、」
「ごめんね~~曲はなかなかいいんだけどね~~」

ヤバイ!路上ライブではもう「この曲を全国で出す事に決めました~~!」
って言って盛り上がってるし、どうしよう??
インディーズ流通業者に電話しまくり、結局、なんとか引き受けてくれる所を探した。
大手ダイキの子会社のジグソーミュージックという所だった。

「カップリング何にする??」「ん~~前にデモで作ってもらった
タララがいいんじゃない?オケも派手だし!シングルっぽいし、、」
「じゃあ、負けないように花火もアレンジしてもらう??」
「ん、そうしよう。。。」「誰かやってくれるかな~~??」
「講師やってる学校に行って聞いてみるよ、、」
「卒業生でプロもいるし、、」「ん。。」
古株の先生に紹介していただいた、延近さんという方にお願いする事になった。
アレンジバージョンは「おおっ、、いいね~~」「ん、いいね!」
「で、さあっ、やっぱり奥華子は路上で弾き語りがメインなんだから、
弾き語りバージョンも入れない?3曲目に!」
「そうだね、、じゃあ俺が仕事から帰ってくるまでに、
地下でツルっと録音しといてね、、」「ハイ、、、」

それからが大変だった、何日も何日も録音しても声が震えて聞こえて
どうしようもない、、。
「なんで、、??」「路上のそのまま録音する??街ノイズ入りで、、」
「いやっ、、がんばります。。」
結局ダメ、、、苦悩の日々が続いた、「だいたい一人で地下で歌うとこうなる、、
歩いてる人を見ないと歌えないんだろうか、、?」
そして考え付いた最後の手段は、環境を変え、クレッセントスタジオで
ベーゼンドルファーインペリアルという、世界最高級の生ピアノで録音しようと
決めたのだった。
マイクも最高級のノイマンU-67(いつも路上で使ってるマイクが100本買える、笑)

そしてお金は掛ったが、最終的に15テイクぐらい歌った中から、
最高の花火ができたのだった。

「これいいよねぇ!」「やっぱし弾き語りなのかなぁ~?」
「CDショップの人に聞いてみようか?」という事で津田沼タワーレコードの
マネージャーさんの戸石さんを訪ねて聞いてみた。
「あの~駅で良く路上ライブやってる奥華子って言うんですけど、、」
「知ってますよ~!」
「今度、CD出したいんですけど、同じ曲のアレンジバージョンと弾き語りバージョと、
どっちを一曲目にしたらいいか悩んでるんですが、どっちが良いと思いますか??」
間髪入れずに「そりゃあ、あなたなら圧倒的に弾き語りですよ!
森山直太朗は桜を2バージョン出したんだけど100万枚売れたのは弾き語りですよ、、」「あっ、解かりました、、有難うございます!」
一言で終わった、、でも嬉しかった。世の中の通常はアレンジバージョンがメイン。
奥華子と言えども同じようにアレンジしないといけないような気になっていて、ただ、そういう事は奥華子にはちょっと違う!っていう気もしていたのが、
一瞬にして晴れたような気分だった。

2004年6月末

インディーズシングル「花火」
~弾き語りの方が好きだ!ピアノと声から伝わって来る波動は強烈だった!~