HISTORY
第十五話
赤いCDと青いCDの2種類を、合わせる約1500枚ぐらい焼いて袋詰めしてた頃
僕は前にお世話になった事務所に報告がてらに挨拶に行った。
「おかげさまで、路上ではありますがCDを売る事が出来るようになりました、
今だいたい1500枚ぐらいは手売りしました、、、」
「ほお~~凄いねぇ、、」
そして、、なんとなく情報は知っていたらしく、、、
衝撃的な言葉を耳にする事になったのである。
「あのね、福田さん、実はあなた達のやっている事は契約違反なんですよ、
実は、まだ別の契約が残っているんです、、」
「ええっ、、、だって、この間まで”これで自由になれるね!”って送りだしてくれてたじゃないですか~!」
「いやぁ~、私もそう思ってたんですけどねぇ、道義的にはそうかもしれませんが契約は契約なんで、、」
録音専属契約と言って、その契約する事務所の承認なしでは録音物を作る事は許されない、音楽業界では一般的な契約書で、通常は必ずCDメーカーと所属事務所とアーティストで結ぶ、一番核をなす契約書である。
さらに契約書の文中には、守秘義務がある関係上詳しくは言えないが、
かなり衝撃的な一節もあった、、。
とにかく頭が真っ白になってしまった、、夢は打ち砕かれ全ては終わったような気がした。
レコーディングエンジニアしかやって来なかった自分はこの世界では全くの素人だったのだ。
何も知らないで勝手に始めた自分が、かなり情けなく、惨めで、奥華子への申し訳なさでいっぱいだった。
冷静に考えれば事務所としてみたら当然の事であり、今までお金をかけて育て、
しかも何の利益も生み出さなかったアーティストである。
よそに行って、そう簡単に儲ける事はできる訳が無いのである。
そうする事で会社は成り立っているのであり、どこの事務所もそれは同じ事だった。
旧事務所、いや、今となってはまだ現行の事務所は何も悪くは無かった。
悪いのは自分だった、、二重のショックにかなりテンションは落ちた。
「これから先どうすればいいのか、、契約違反の罰則は何なのか、、
奥華子はもう路上に立つ事も、CDを売る事もできないのか、
奥華子にはなんて話そうか、、、」
「どうするかは、後日こちらで話はまとめておきます、、それでは今日はこれで、、、」
ただ、思い起こせば
「こちらの都合でもあるので、全ての契約を一つにまとめて(通常は複数の契約書を交わす)
ここにハンコを押せば、晴れて自由の身になれます、、、」という言葉だけを信じて、、、
何も考えずにハンコを押させた。
という事実だけ考えれば、やっぱり道義的には筋は通っているはずなのに、、。
考えれば考えるほど、悔しくて情けなくてどうしようもなかった、、。
後日
「こちらとしては、道義的な事も考慮し、×××××、、、という事でどうでしょう、、」
「、、ハイ解りました、、、」
内容は、今後の奥華子の将来を十分気遣って頂けた内容だった。
反論の余地はなかった。
象vs蚊みたいなものだった。
路上ライブを続けるには仕方なかった、、、。
言いたいことは山ほどあった、どうしてこうなったかの理由も、誰がいつ、どこで、どうなって、、
全て解っていた。
相手先の担当者も同じことは理解していたはず、、、心の中では、、
「道義上vs契約上」かなり勉強させてもらった気がした。
そして初めてプロデューサーとしての一歩を踏み出せた気がした、
かなり苦い一歩を、、、
、、誰も相手にしてくれなかったんだ、、、その人達を絶対に見返してやるんだ!
と、必死に作った「小さな星」「涙の色」「愛されていたい」「私の右側」
ここはこう弾いて、ここのタイミングはこうで、アクセントはこうで、、ダメだ!違う!、、
地下室に缶詰になって何テイクも録音し直した
「雲よりも遠く」「虹色の目」「鳥と雲と青」「そんな気がした」
一番大切だった8曲。
首都高を一人で思いっきり走り続けた、、前は見にくかった、、
音楽業界に入って二十数年、、一番くやしかった時、、
2004年6月吉日
大切な宝物
、、実は他人の物だった、、、