HISTORY
第十四話
以前500枚限定で手売りしていた300円の赤いCDについて話合った。
「なんで500枚限定なんだっけ?」
「限定!って言ったほうが売れると思ったから、、」
「でも、今、青いCDは500枚以上売れてるのに赤いのは限定だった
からって売らないのは変じゃない?」
「でも、300円で売ってたのを今後500円で売るのが変だから、、」
「はぁ~ん?、、ほしいって人がいるのに?、、すぐ作れるのに
なんで500枚で止める必要あるの?」
「う~ん、でも、この間まで300円で500枚限定だったので
もう無いんですっ!って言った人に悪いし、、」
「、、、」
「じやぁマスタリングし直してレベル合わせしてもう一回作ろう!」
「プロに頼んだんで500円に値上がりしました!って言えばいいよ、」
「プロ?、、」
「、、??、、はいっ、、わかりました、、」
って事で赤いCDが一夜にして500円にて復活した。
自宅地下スタジオは録音からパッケージまで、200枚作るCD製造工場
としては日本で一番速いんじゃないかと思った、、たぶん、、(笑)
津田沼駅も凄かったが、しかし、もっと凄い所があった。
柏駅だ、誰かが言った。
「路上のメッカ、柏駅で人が集まってCDが売れたら本物だ!」
「あそこの人達は耳が肥えてるから、そこ行ってチャレンジ
してみれば?」
なんとなく、鼻で笑われてるように聞こえた。
さらに自信も無かった、、(笑)
柏駅って言うと、日本全国からほとんどプロのような人達が
目をギラギラさせて何組もやっているイメージがあった。
恐る恐る行ってみると、予想通りだった。
駅に近づくにつれてドラムの音が大きく聞こえて来て
「うわっ、デカイっ!」
「こんな所であたしの音は何も聞こえないんじゃない?、、」
不安的中、、東口広場は数組のバンドからユニットやら
いろんな人達が頑張ってた。
「ここは無理だね、、」「恐るべし柏駅東口!」
ところが、、
「あの~、、人はいないかもしれませんが、反対側の南口の
乗り換え口だったら誰もやってませんけど、、」
バイトの優ちゃんと数人のファンの方々の声で南口に行ってみた。
「ん~?静か、、隠れ柏か?、、人いなそうだけど、、」
「でも大丈夫、ここでやってみようよ!」
奥華子の声ですぐに決まった。
実際はかなりの人が乗り換えに通る場所だった(笑)
・・・初柏・・・行って良かった・・・・
ちょうどその頃「路上告知用と、ライブを見てくれた人が
すぐに感想を書いてもらえるようになHPが欲しい!」
と言って、奥華子が携帯のHPを作り、PC用のHPは僕が作った。
そして、数人のファンの方がいつも見に来てくれるようになった。
○○君、□□君、△△ちゃん、、、まるで友達だった。
機材も持ってくれたり、チラシを配ってくれたり、CD販売も
手伝ってくれた。
大きな事務所にいた頃の「歌う人はアーチスト」
「聞いてくれる人はファンの人」
のある種、当然のような隔たりを僕は大嫌いだったし、
そうならないようにさせようと
「お前はただ道端で歌う税金もろくに払っていないただの人、、
みんなはきちっと社会に貢献していて税金もきちっと払っている
立派な人達なんだ、、」と、いつも言ってた(笑)
「未完成であり続ける事」「身近な有名人」
「音楽を趣味としない人にも届く歌」
奥華子の音楽を表現する為の基本の3本柱はこうだった。
常に流行と偏差値65以上の音楽性を追いかける
(少なくとも僕の回りの音楽業界はそうだった)
業界の秩序を真っ向から打ち砕いてやろうといつも考えていた。
初柏は236枚のCDが完売し、その後津田沼と柏は常に
300~400枚ぐらいのCDが売れた。
充実感もあったしファンのみんなと居る事だけで、
なんだか楽しかった。
そして、なんとなく自分も奥華子も少しづつ気持ちに
変化を感じていた、、。
それは何かと言うと、当初考えていた「メジャーデビュー」とか、
「3日で1000枚売る!」とかなんていう事は、まるで意味が無く、
まったくつまらない事のように思えるようになっていた事だった。
というより、まったく頭に無くなっていた。
「自分の見栄や欲望、肩書き、栄光、、、」を手に入れる喜びよりも
「実際に歌を聴いてくれる人々の感動の言葉や笑顔や涙、、」
が与えてくれた喜びの方が何倍も何十倍も嬉しく、
尊い物だと思うようになっていたのだった。
2004年の6月
~今までで一番充実した1か月間~