HISTORY

第十二話

なんとなく昨日の事がウソのような気がしてた、、100枚完売なんて、、
青い500円のCD1アイテムだった。
「突然どうしたんだろうねえ~?」
「メガネって関係ありますか?、、ん~、、関係無くない?」
「歌いづらい?、、ちょっと歌詞が見えづらいけど平気です、、」
「やっぱし、歌ってる時にチラシ配れてCDも売れるからじゃないですかね?」
「優ちゃんて凄いね、、笑」
「でもさ~、もう一回やってみないとわからないよね~?」
「ん、また同じ場所でやってみたいです!CD100枚持って」
「解った、じゃあまた作らないとね、、ハイ、、」
5月26日、また同じ場所で同じように歌う事にした。
一晩で100枚作るのはかなり時間が掛かったように思うのだが平気で作って来た。
それもそのはず、パソコンでCD-Rに音の焼付けを全部20倍速(高速コピー)でやっていたらしい。
「ああ~~ん?20倍なんて音悪すぎ!ダメだよー!最長4倍じゃないと、、」
「でも今までもずっと、20です、、、が~ん、、」
エンジニアとしてはかなり許せなかった、ジャケット面とビニール袋には指紋レベルで
こだわっているくせに、、音は何も解っていなかった。
その後はpiriスタジオでMacで4倍(通常コピー)で焼いた。
ソーテックのWIN98で一生懸命やった奥華子はかなりしょんぼりしていた。
、、しかし、、、しかし、、
なんと、実際に聞いて見ると奥華子WIN20倍のほうがpiriスタジオMac4倍よりも
明らかに音が良かったのである。というより奥華子の声に合っていた。
=20年のエンジニア人生でもかなり衝撃を受けた出来事であった=
そして更に似たような出来事がこの後も事ある事に起こった。
録音機材やピアノ音源、マイク、その他いろんな物に対して
ほとんどがプロ仕様よりもリーズナブルな物の方がマッチしていた。
<既成概念はあてはまらない!>
奥華子流のベースはこの時のCD-Rから始まった。

渋谷のハチ公横は全く一昨日と同じで、歌い始める度に立ち止まる人の輪が出来た。
青い500円CDはまた100枚完売。
「なんとなく面白くなって来た、自信がちょっと沸いてきた!」
5万円のお金にもちょっとびびっていた。
「ローソンの商品の銘柄なら全部言える!」と豪語していたフリーアルバイターに
してみたら無理も無い(笑)
「明日もやろうよ!」「なんだか凄いね~!」奥華子と優ちゃんの声は弾んでいた。
しかし、終わった後僕に近づく割腹の良い大人の方が一人、、

「凄いね~、デビューしてんの?一昨日も見てたんだけど、、いくら売れたの~??」
「それでね~、一応ここにはルールがあってね~、、」
「はあ、、そうなんですか??、じゃあ次は連絡させて頂きます、、、」
「宜しくね~~」、、、、、、。

「誰?今の人誰??」
「ん?、、ん~~、、しばらく渋谷は止めよう、、、目立ちすぎた、、」
「なんだか解らないけど、ちょうどいい!明日は津田沼でやりたいです!」
「絶対いっぱい見てくれるような気がする!」
「わかった、家に何枚CDある?」
「ん~20枚ぐらいです」
「ああ~~ん?誰が焼くの??」
「、、、ん??みんな、、、」
「何枚?、、200枚~~!!」
CDは売れて嬉しかったが、その後3~4日はほぼ徹夜だった。
スタジオのMac2台とWINノート1台で3台がフル回転。
千葉の実家では袋詰め作業がフル回転。

2004年5月26日、確信を得た日。
「大丈夫、届いてる!」