HISTORY
第十一話
渋谷駅での路上ライブを終え、その日も60枚には達っせず半べそで売れ残ったCDをリュックにしょって津田沼駅を降りた奥華子は決意した。
今まで、「知ってる人が通ったら恥ずかしい、、」という理由で一度たりともやった事が無かった地元の津田沼駅で路上ライブを勇気を振り絞って決行したのだ。
電話ボックスの横で、申し訳なさそうに、小さい音で、、、。
仕事中の僕に息を弾ませながら喋る奥華子の声が携帯電話から伝わってきた。
「今、津田沼駅なんですけど~予約取りました~!、今日は60枚全部売れました~!」
何言ってるのか良く解らなかったが、とにかくハイテンションで喋りまくっている。
「何の予約??」「だから、、私、明日の同じ時間にここにいまっすって言ったんですよ!」
「ああ~ん?」「だから、、今日はもうCDが無くなっちゃたんです。で、、明日、
CD持って同じ時間にここに立ってますから、、って言ったんですよ!」
「あっ、なるほど」「横で笛吹いてる人とかいたけど、、とにかく、みんな、
バーっと寄ってきてくれてCDが一瞬にして売れたんですよっ!!」
「だから、明日も来るんです、、津田沼は凄いです!、、でもエコーが付かなかったんです、、」
「ん~??」「まあっ、、とにかく良かったね、、」「ハイっ!」
これが始めての千葉、津田沼駅での路上ライブだった、そうとう嬉しかったんだと思う。
2004年の5月、渋谷O-WESTで学生主催の対バンライブがあった。
出演者はみんな知らない人ばかり、相手からしても奥華子なんて当然知らないミュージシャンだった。
僕は音響の専門学校の講師をしていた関係でそのライブに誘われ、運営もその専門学校だった。
そして、受付で出会った学生で「今、プロダクションでバイトをしているんですけど、そろそろ辞めるんです」
という女子学生に出会った。「えっ、じゃあ路上ライブのチラシ配りのアルバトしない?」
「あっ、いいですよ、路上ライブは慣れてますから、」「良し決まり!じゃあ次に渋谷でやるときに電話するね」
学校の生徒だという事もあり妙に安心で簡単だった。
5月23日、僕が仕事からまだ帰って無い為、事務所近くの商店街をフラフラ歩いている奥華子を帰宅途中の車の中から発見した。そして、そっと近づいて窓を開けて言ってやった。
「おい、こらっ、何、メガネなんてかけて気取ってんの~?、、」
「へへっ、、たまにはいいじゃないですか、、だって、この間、1000円で買ったんですよ、、」
「別に値段なんか聞いてないよ、、赤いのは変だよ~~赤は、、笑」
5月24日、スタジオ作業中、二人に電話した。
一人目、「もしもし、今日、この間言ってた奥華子って子の路上ライブを渋谷でやるんだけど来られる?」
「あっ、ハイっ、解りました、、」
二人目、「もしもし、あのさ~、、昨日かけてた赤いメガネ、、今日の路上ライブでかけて歌ってみて!」
「ええっ?かけながらですか?見えるかな~、、でも、、ハイ解りました」
昨日から、なぜか妙にメガネの事が気になってしまっていたのだ。
「今日はバイトの子も来るし100枚持って行こう!」
2004年5月24日渋谷ハチ公横、バイトの優ちゃん初登場。
初めて赤いメガネをして歌った日、、100枚完売。
※一説では「メガネ効果」と言っているが、真相はメガネをかけた同じ日から
バイトの優ちゃんが付いてくれた為、歌っている間にも
チラシが配れてCDも売れる環境になっただけの事の気がする。