HISTORY
第八話
話は前後するが、当時の事務所での最後の仕事になったのが現在でも発売されている
女性ピアノ弾き語りアーチストを集めたオムニバスCD「カクテル2」の中に入っている「Rainy day」という曲で、2003年の春頃だった。
録音場所はキングレコードの関口台スタジオ。3時間という時間制限の為まず、事務所のスタジオで練習してから望んだ。
奥華子が初めてベーゼンドルファーというメーカーのグランドピアノを触った日でもあった。
この日の印象はかなり無口で暗く怖かった、、。表現は全て歌声にそのまま乗せていたような出来である。
結果としてそれが凄く良かった、しかし、本当はもっと良かったのだった。
5テイク録音した中で僕は迷わず3テイク目が絶対いい!と思って聞いていた。
しかしみんなの意見は違った。??なぜに??圧倒的に良いはずなのに、、?
その後4、5と録音を重ねるがピークは過ぎていたし、時間も迫っていたし、
これ以上歌っても悪くなる一方と思い、勝手に自分の中で5テイク目を「いい!」と
言わせよう!と決めた。そして5テイク目だけを少しピアノも
声も輪郭がわかりやすいような処理をしてみんなに聞かせた。予想どうり全員一致で
「これが一番明るくで元気がいい!」という事で5テイク目に決まった。
、、やれやれ、、、Rainy dayに明るさと元気さがなぜ故必要なのさっ、、
僕にして見れば3テイク目を選んでくれなかった事が全てだった、、。
怒り、暗さ、怖さ、、その時の奥華子が充分詰まったテイクであった。
今はもうどこにも残っていないのが悔しい、、。
その後「カクテル2」の発売イベントが各地で行われたり、南青山MANDALAで対バンのライブに出たりでライブ活動は少しではあるが続けていた。ただ、残念ながら「カクテル2」のCDが発売されたのは事務所を離れた後の一番暗くてつらい時期だったが故に出来は?と言うと
「何考えて歌ってんの?」
的なクオリティーであったことは言うまでも無かった。
「小さな星」以降も曲作りは延々と続いた、相変わらず怒り怒られの日々の中、少しづつではあるが曲は出来て行った。「銀色の季節=花火」「ブランケット=白い足跡」同時進行でライブハウスやメーカーへのプレゼンとしてのレコーディングも進んで新しい事務所は少しづつ動き初めていた。
「小さな星」「花火」「ブランケット」はアレンジャーの方に頼みその他、主だった曲は弾き語りでの録音をした。この時が初めてのpirisound studioでの録音だった。
マネージャーのS氏は方々を駈けずり回りプレゼンした。
メジャーアタック2回目。結果は、、前回と同じだった、、
、、2003年冬、、寒かった。