HISTORY
第四話
2002年の8月の終わり、今でも憶えている、久しぶりに行った田舎のラーメン屋にいた時のことだった。
S社ブッキング担当のTさんから電話がかかって来たので外に出た。不思議なもので小さい頃から見慣れた光景を懐かしく思いながら喋ると電話とはいえこんな遠いところまでわざわざ恐縮です、、
と普段の倍ぐらい頭を下げながら喋った内容はこうだった。「奥華子の事なんだけどね、今度インディーズも含めいろいろ考えてるらしく、彼女の音楽に好意を持ってくれてる福田さんにぜひサウンドプロデュースという形で関わってほしいとMさんが言ってるんだけど、、どう?」、、
ん~~?好意は別に持っては無いんだけど、、?
フォークはあんまり好きじゃないし、、?何なんだろう、、?要はこういう事か!ととっさにによぎったのは、
「ただ低予算でエンジニアをやってほしいだけの事なんじゃん、、プロデュース兼って事でのただ働きの時間を増やしたいだけってわけか、、」まっ、でも面白そうだから引き受けよう、、
「あっ、そうなんですか、、じゃあ是非やらせていただきます、次はライブの音合わせの現場ですね、、有難うございます、、」佐渡ヶ島の小さな商店街の道端で携帯片手に何回頭を下げたんだろう、、(笑)
予感は的中した。リハスタジオの中で、サポートの若いギタリストと練習をしている彼女の顔が物語っていたのはこうだった「、、どうしてレコーディングエンジニアの方がここに来ているのですか?、、」だった。
なるほど、、全てを察した僕の頭の中はこうだった。
「きっとMさんは本人には何も告げてない、、サウンドプロデュース?、、ただ働き、、笑、、しかしなんらかの形で自分がここに来た事のメリットを示さない事には自分が許せない、、それはもはやこのケミュニケート不足&低製作費思考(売り上げが無いアーティストにおいては全く当たり前の事とフォローしておくが、、)のこのスタッフに任せておいても無理な話である、、
あと、このピアノに合わせるこのサポートギター君が全くサウンドしてない、、
でも、ピアノのフレーズを変えれば何とかなるかも??だが、自信に満ち満ち溢れている(本人後日談より)本人は変えるつもりは微塵もなさそうだ、、そして、3日後に迫ったスターパインズのライブまでにいろいろいじるには時間が無さすぎ、、
しかし、このアーティストはこれでいいのだろうか??、、、根本的なところのアドバイスをする人がいない様子だし、、」
だった、その後サポートのギター君に一言二言ピアノとの音域の事を話して終わった。
小さな体から満ち満ち溢れた自信は、大きな組織スタッフに挑まなければならない大きな不安の裏っ返しのような力強くも、どこか切ない声でスターパインズカフェのライブは終わった。
打ち上げには十数人のスタッフが参加した、もちろんメジャーメーカーのプロデューサーを気持ちよくさせるだけの為に、、
「、、ふ~ん、すごいんですね~、エライんですね~、、海外に何回も、~ふぉ~やっぱ違うは~、」
どこの国の何が美味しいって?何すばらしいって?ふ~ん、、
(そんな話より、○○通りの○○ラーメンがめちゃくちゃ美味しい、みたいな話のほうが、心底笑えるのにね、、笑)
、おいおい!、、みんな~!、、??
そんな事より何より、この子の明るく振舞う中にも時折見せる不安そうな顔付きと切ない声に興味はないのか?、、
明るいんだか暗いんだか解らない小動物は檻の中でもがいているかのように思えた、、
檻によって小動物も全てが変わるのだろうか?魚は水槽の大きさによって体の大きささえ変わるとよく聞く。
、、自分自身なんとなく檻と小動物に興味が沸いて来たのかも、、
-2002年9月18日スターパインズカフェ-
月光、泡沫、木もれ陽の中で、その手、Rainy Day、自由のカメ、楔