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2006/7/6
第六話
インディーズアルバム制作真最中、アレンジャーさんの来るまでの待ち時間。
スタジオ近くの赤坂のスパゲッティー屋で初めてアーティスト奥華子と二人で夕食を食べた。
味も人間もあまりにも普通だった。プライベートは見えない、アーチストとしてのオーラは感じない。
「黙ってそこにいるだけで絵にならなければCD出しても売れないだろ〜な〜、、」
ちょうどその頃、会社内部の部署の移動や整理がはじまっていた。
驚いた事に彼女が所属していた所は吸収され無くなるという情報が入って来た。
「ん?契約は?アルバムは?、、」「多分このまま無かった事になるのか?」「ちょうどいいかも?」
勝手に自分で思っていた。ただ、一般社会人として考えるに今までつぎ込んで来たお金は何らかの形で回収するはず。もしかすると無理やりアルバム出すのかも?宣伝力はかなり強い会社である。
良いのか、悪いのか、??予感は的中!どうも時期をずらして出す方向に向かっているらしい。
ここまでは納得、むしろ当たり前。しかし一つだけ腑に落ちない事があった。
、、本人は何も聞かされていない、、。という事だった。
解っていながらアルバム制作は続いた、一方では何も知らずに、何も知らされる事無く、ただ歌っていた。
僕も含め大人はズルイ?「音楽性が音楽性が、、」「もっとグット来る歌じゃないと、、」
「サビのインパクトが足りない!」「出だしの掴みが悪い!」「アイドルじゃないんだから、、」
「情景描写な歌詞が多すぎ、もっと迫る感じに、、」「ピアノのタッチが弱い!」「オケに合わせて!」
「カラオケでみんなが歌いやすくないと、、」「ピッチが悪い、リズムが悪い、、」
お金の計算をしながら大人は何でも勝手に言う、、。自分達はできないくせに、、。
後日、マネージャーから聞かされた奥華子はこう言った「私、辞めたいです、、独りでも歌います、、」
「でも辞めたいって言っても誰か面倒を見てくれる人がいないとどうしようもないだろ〜?」
「たった独りじゃあライブにだって出にくいよ?」「誰かやってくれないですかね〜?」
「分かったじゃあ誰か探してみようか〜、、」
2003年3月奥華子はたった一人だった。相談できる人も一人しかいなくなってしまった。
売れないシンガーソングライターとレコーディングエンジニアの2人だけではたして何ができるのだろうか?
お金は何も無い、あるのはただで使える小さな地下の自宅スタジオと技術力、歌唱力、作詩曲力、ピアノ演奏力だけだった。
2003年3月29日 自由ヶ丘LA RUE
20人のファンの前で生ピアノ、生声で歌った「そんな気がした」を初めて聞いて僕は決めた!
、、「この子を売って見せる!」、、
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